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著者プロフィール
psalm2jp:1971年生まれ。東京都出身。慶應義塾大学経済学部卒業後、外務省安全保障政策課勤務を経て、早稲田大学社会科学部に学士入学。社会思想、哲学を学ぶ。在学中より、幼稚園教師として活動開始。保育士として活躍。2008年4月より、福祉作業所にてサービス管理責任者として働く。ホームヘルパー2級免許も取得。
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カント純粋理性批判を読んで
 

今、少しずつではあるが、カントの純粋理性批判を読んでいる。この本は周知の通りであるが難解である。何が難解かというと、一つ一つの言葉の意味がわからないから難解なのである。例えば「統覚」、「悟性」、「超越論的」、などという言葉が出てくる。統覚なんていう言葉も普段は使わないし、想像もつかない。悟性という言葉も私の知っている限りでは、カントの著作にしか出てこない。それでも何でも読んでいるうちになんとなくカントの言っていることが少しだけわかるような気もしてくる。

そもそも、どうして純粋理性批判を読むようになったかというと、それは私の問題意識の延長上にある。すなわち、私は社会科学に興味があるのだが、社会科学はウエーバーが言うように、価値中立的な学問であるといわれる。つまり、社会科学自体は価値判断ができないのである。Aという政策とBという政策があるとして、それのどちらがいいのか悪いのかということを、純粋に学問的な意味では、社会科学的には判断するのが困難であるということである。それでは、価値判断とは何かと私は問い始め、哲学に興味を持ったしだいである。そして法哲学や社会哲学の本を少しずつ読んでいるうちに、いろいろな所でカントの名前が出てくるのである。よってそうこうしているうちに、カントを理解したいと思うようになったのである。

カントは、キリスト教の影響を強く受けていることは確かである。そして、「すべての思想はカントに流れ込み、またカントから出て行く」と言われるほどにすごい哲学者である。カントは純粋理性について研究したが、純粋理性とは、「時間には終りがあるのか」とか「人間の霊魂は不滅か」というような問いを考える時に使われる理性のことであるらしい。他方、実践理性とは、主に倫理道徳を考える場合の理性であるらしい。また、悟性というのは、時間や空間を理解する上での形式のようなものであるらしい。どうも純粋理性批判では、人間の理性が空回りを起こすことを分析し、そして、理性の限界を規定したもののようである。カントの哲学は、カント以前のデカルトの合理論と、イギリス経験論を発展的に止揚して、ドイツ観念論を生み出した。いずれにしても、カントは理性の限界を規定したのである。

さて、キリスト教の信仰も、理性の限界を認めなければならない。聖書をすべて理性で理解することはできない。私達は、タイムマシンに乗って、聖書の事実を確認することはできないからである。ある意味、理性を超えたところに信仰がある。それは、理性を否定することではない。理性を神にゆだねることなのである。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」本当の信仰は、あなたの理性をきっと満足させてくれるはずである。

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| 哲学 | 22:00 | comments(0) | trackbacks(0) |









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